映画『木の上の軍隊』が、沖縄先行公開を経て7月25日から全国公開される。舞台は、沖縄本島の北西に浮かぶ伊江島。1945年、太平洋戦争のさなか、日本軍と米軍の激戦の中で2人の日本兵がガジュマルの樹上に身を潜め、終戦を知らないまま2年間も隠れ続けた──そんな衝撃的な実話がベースになった物語だ。
【動画】映画『木の上の軍隊』予告編
主演は堤真一(山下一雄少尉役)と山田裕貴(沖縄出身の新兵・安慶名セイジュン役)。沖縄出身の平一紘監督がメガホンを取り、全編を沖縄で撮影した。6月13日より先行公開された沖縄では、三世代にわたる家族連れなど、幅広い世代が劇場に足を運んでおり、スターシアターズ系の劇場では金土日の観客動員数が4週連続1位になるなど大きな話題を呼んでいる。
映画の印象的な「木の上のシーン」は、伊江島のミースィ公園に植樹して数ヶ月かけて根付かせたガジュマルの木の上で撮影された。撮影セットが今も残っていると聞き、伊江島を訪ねてみた。
■フェリーで30分、伊江島へ
沖縄美ら海水族館がある本部町の本部港から、フェリーで30分。甲板に出ると潮風が強く、どんよりした梅雨空が少し残念だったが、平らな大地からにょきっと飛び出した「とんがり帽子」のような岩山はよく見えた。
この島は、古くから航海の目印だったそうだ。今はダイビングスポットとしても人気で、多くの観光客を迎えているこの島が、80年前、壮絶な戦場だったことを、私は映画を観るまで知らなかった。
不幸にも「日本軍も、米軍も、飛行場を作りたい欲望にかられるような地形」(米海兵隊戦史)だった伊江島は、太平洋戦争末期、「不沈空母」の役割を担わされることになった。1945年4月16日、米軍が伊江島に上陸。同21日に日本軍の組織的抵抗が終わるまでの6日間、島全体が戦場になり、多くの住民が巻き込まれた。
▼阿良御嶽(あらうたき)
港に着いて最初に訪れたのは「阿良御嶽」。タクシーの運転手さんから「まずここで旅の無事を祈ってほしい」とすすめられた。鳥居をくぐると、大きな石の額に収まったような島のシンボル「城山(ぐすくやま)」を望むことができた。目の前の阿良の浜の桟橋から出征した兵士たちもここで祈ったに違いにない。
▼芳魂之塔(ほうこんのとう)
次に「芳魂之塔」へ向かった。伊江島戦で命を落とした守備軍将兵や住民、約3500人がここに合祀されている。刻銘板には一人ひとりの名前が刻まれており、女性の名前も多い。地元の住民たちも女子救護班や女子協力隊、青年義勇隊などを編成して戦闘に加わり犠牲になった歴史が刻まれていた。
▼ニーバンガズィマール
激戦の伊江島戦を生き延びたのが、本作のモデルとなった佐次田秀順さんと山口静雄さん。2人が米軍の目を逃れて樹上生活を送ったガジュマルの木は「ニーバンガズィマール」と呼ばれ、現在も平和の象徴として大切に守られている(「ニーパン」はこのガジュマルの木を管理する宮城家の屋号に由来)。樹齢100年以上とされるこの木は、2023年8月の台風で一度倒壊したが、地元の人々などの「復活させたい」という声を受け、土を入れ替え、支柱を強化するなどして再建された。
■ミースィ公園
映画の撮影に使用したガジュマルの木がそのまま残されている。ミースィ公園にもともと移植されていたガジュマルに、もう1本を移植して根付かせ、木の上に山下と安慶名の2人が暮らせるスペースを確保。撮影では、ガジュマルの枝や葉で下からも横からも見えない姿を表現するため、抜き差しできる可動式の枝を用意するなどの工夫が凝らされた。
■城山(ぐすくやま)
伊江島の中央部にそびえる高さ172メートルの岩山。島のシンボルで「伊江島タッチュー(※沖縄方言で“先のとがっていること”)」の愛称で親しまれている。映画では山下と安慶名が食料を探したり、ハブに噛まれたりするシーンなどが城山周辺で撮影された。山頂からは360度のパノラマが楽しめる。
■伊江島の海
劇中で安慶名が「帰りたかった海」は、伊江島の魅力そのもの。ラストシーンが撮影されたのは、「グリーンビーチ(イシャラ浜)」。ほかにも、「伊江村青少年旅行村」の中にある「伊江ビーチ」、かつては米軍将校専用のビーチだった手つかずの自然が残る「GIビーチ」、島の北西海岸にある「湧出展望台」からの眺めも美しい。断崖絶壁の上から青い海と水平線を一望できる展望台の下には、かつて島の生活を支えた真水が湧き出場所がある。
■伊江村青少年旅行村
モクマオウの林の中にあり、キャンプやバーベキュー、海水浴(伊江ビーチ)が楽しめるほか、アスレチック、テニス、野球などのスポーツ施設、トイレ、シャワー、売店がそろった人気のレジャースポット。映画では、山下と安慶名が米軍のゴミ捨て場で食料や物資を見つけるシーンや、山下が安慶名をおぶって歩くシーンなどが撮影された。
▼米軍補助飛行場跡地
映画の冒頭で安慶名たちが飛行場を建設する場面は、実際にあった出来事だ。伊江島に造られた飛行場は当時「東洋一の規模」とも言われたという。しかし、米軍の上陸が迫ると、日本軍は自らの手で滑走路を爆破・破壊することになる。上陸した米軍は、わずか2日で飛行場を修復したらしい。現在は、生活道路として立ち入りが許されているが、米軍の管理区域内にある(現在も島の面積の35%は米軍基地となっている)。周囲には何もなく、荒れたコンクリートの道が真っすぐに続き、どんよりとした空がただ広がっていた。
▼第502特設警備工兵隊出撃之地
第502特設警備工兵隊の隊員は、住民義勇隊がほぼ半数を占めていたといわれている。6日間に及んだ地上戦の間、石碑の背後にある自然壕(自然にできた穴や洞窟)から、竹槍と手榴弾を手に出撃し、尊い命が数多く失われた。石碑は1995年に部隊の生存者によって建立されたものだ。周りには民家もなく、人通りもほとんどなさそうな(米軍演習場「伊江島補助飛行場(立ち入り禁止)」があるため行き止まりの)道端にひっそりとたたずんでいたが、新しい花や飲み物が供えられ、今も地元の人々に大切にされていることがうかがえた。
▼ニヤティヤガマ
「第502特設警備工兵隊出撃之地」の自然壕のように、沖縄の島々には当地の方言で「ガマ」と呼ばれる自然の洞窟が数多く存在し、戦時中は防空壕として利用された。伊江島の東側にある「アハシャガマ」では、隠れていた村民約150人が爆雷による自爆で命を落とすという悲劇も起きている。
島の西側の「ニヤティヤガマ」は、戦時中に多くの人を収容したことから「千人洞(ガマ)」とも呼ばれ、中に入ることができる。入ってみると確かに中は広く、ひんやりとした空気が肌に触れた。洞窟の奥へ進むと、視界の先に海が見えた。洞窟の出口がハート型に見えるということで、観光客にも人気の写真スポットになっているようだ(スマホ台も設置されていた)。もともとここは、子宝祈願の「力石」が置かれた、島の人々にとって神聖な祈りの場(もちろん今も)。命をつなぐ願いが込められた場所であり、80年前、住民たちが身を寄せ合い、恐怖に震えながらも必死に生き延びようとした場所だ。
なお、映画『木の上の軍隊』の劇中で、米軍の激しい攻撃を受けた安慶名が防空壕へ逃げ込むシーンなどは、沖縄本島にあるガマで撮影されている。
■旅の終わりに
伊江島には、映画を通して知った“戦争の記憶”が今も刻まれていた。実際に歩き、見て、感じ、そして忘れないことが大切だと心に刻まれる旅になった。
島で戦闘が終結した4月21日には、毎年平和祈願祭が行われている。その時期に、もう一度伊江島を訪れてみたいと思った。4月後半から5月にかけては、島全体がユリの甘い香りに包まれる「ユリ祭り」も開かれるそうだ。犠牲になった方々の安らかな眠りを祈りつつ、次はぜひ晴れた空の下で、海の青さやガジュマルの緑、潮風の香りを満喫したいと願いながら、伊江島をあとにした。