「テレビと配信では、競技が違うと思っています。テレビで19年やらしてもらって、そこで培った経験をもとに、新しい競技に挑戦する思いです」。まっすぐな視線をこちらに向けるのは、6月で日本テレビのコンテンツ制作局(兼)スポーツ局から離れ、ABEMAで新たな一歩を踏み出した柳沢英俊氏(42)だ。石川遼選手、長嶋茂雄さんといった名だたるアスリートの密着番組を手がけ、サッカーW杯やオリンピックでは全体統括・番組演出を務めるなど、スポーツの“王道”を歩んできた一方、2021年にはバラエティー番組『千鳥かまいたちアワー』を立ち上げ、『24時間テレビ』も担当するなど、異色の経歴を誇る。一体なぜ、このタイミングで新たな道を決断したのか。これまでの歩みとともに、迫ってみた。
【写真】ヘルメットを飛ばして…豪快にスイングする現役時代の長嶋さん
■先輩の教えを守り信頼を獲得 長嶋茂雄さんのドキュメンタリー制作「みなさんから愛されるスーパースター」
2006年に入社し、いきなり夢がかなった。「アスリートを描く番組を作りたいと思っていたので、スポーツ局を希望したら、配属されて、ストレートに夢がかないました。本物のスポーツ選手を間近で見ることができて、現場を肌で感じられることが本当に楽しかったです」。入社2年目から、ゴルフ・石川遼選手の取材を始めた。「15歳で優勝した翌日に、石川選手の自宅に取材で行かせていただいて、そこからの縁で、ずっと密着するようになりました。スターが生まれた瞬間を追い続けられたのは、本当に貴重な経験でした」。2009年には民放キー局5社の代表取材を担当し、アメリカの試合に3ヶ月以上帯同して、現地取材を行った。2011年、東日本大震災の後には、石川選手と被災地の小学生との交流を『24時間テレビ』のメイン企画で放送した。同年9月、4年半の取材をもとに書籍「石川遼、20歳」を執筆するなど、深い付き合いになった。先輩の“教え”を守り、信頼を勝ち取った。
「スポーツ局の先輩に『選手と信頼関係を築くには、一緒に食事に行くとか、そういう話ではなくて、選手のプレーを選手が納得いく形で伝えることが大切だ。新人だと、なかなか取材相手に簡単には近づけないと思うけど、絶対に選手は気にして見てくれてるから。仕事として返しなさい』と言われました。その言葉通り、必要以上に石川選手にガツガツ近づいて…ということはしていませんでした。取材の積み重ね、アメリカでの試合に帯同ができたというめぐり合わせもあって、関係を築くことができました」
2013年から6年間総合演出を務めた『Going!Sports&News』では「亀梨和也のホームランプロジェクト」、「上田晋也のゴルフシングルへの道」などヒット企画を生み出し、時間帯トップの人気番組に。ここでの出会いも、自身の人生に大きな影響を与えた。「『Going!』を担当したことが、後々、私自身がバラエティーに行くひとつのきっかけにもなりました。スポーツに興味がある方はもちろん、ルールもまったく知らない方など、より多くの方々に伝えることができれば、スポーツの認知度も上がり、価値も上がるはずだという気持ちになりました。特定の分野を超えて、興味がなかった方を振り返らせるくらいの熱量を持って、物事を伝えることが大事だと、上田さん、亀梨さんとの出会いで実感しました」。
2004年に脳梗塞で倒れて以降、リハビリに励んできた長嶋茂雄さんのドキュメント番組を企画・取材・演出。先日、突然の訃報に日本中に悲しみが広がったが、生前の栄光を描く上で大切な記録となる番組になった。朝の散歩からリハビリのシーンまで密着し、王貞治さんとのON対談も実現することができた。「日テレの先輩たちが信頼関係を築いてきたからこそ、作ることができた番組でした。長嶋さんのリハビリ風景から、朝の散歩から、車にも同乗させていただきました。『はじめまして』の状態からの取材でしたが、長嶋さんは本当に太陽のような方で、本当にどこに行っても会った人が笑顔になりますし、『長嶋さんがいるから頑張れる』という声もたくさん聞きました」と充実した表情で振り返る。
「取材をしている我々にもサービスをしてくださって、みなさんから愛されるスーパースターって、こういう人のことを言うのだと感じました。私の両親も、長嶋さんの話をするだけでうれしそうな顔をしていて、僕が手がけた番組の中で両親が一番喜んでいたものです。いまだに『あの番組は良かったね』って言ってくれて、それ以降はヒットを打てていないのかなという気持ちにもなりますが(笑)、親孝行ができたのかもしれないですね」
■コロナ禍での東京五輪で感じた「リアル」の大切さ 新天地で「ワクワクしたもの作りたい」
2018年には、約半年間の準備で史上初となる55分間のNHKとの同時生放送を演出。「NHKに通いながら、連日会議をしていました。NHKではCMが入らないので、こちらがCM中にNHK側でどういうことをするかなど、細部まで話し合っていきました。2つのチャンネルで同じものを流すという新しい挑戦をすることで、新しいソフトが生まれるのだと体感することができた瞬間でした」。
さらに「バンクーバー五輪(2010年)」、「ロンドン五輪(2012年)」、「ソチ五輪(2014年)」では現地ディレクターを務め、「サッカーW杯(2014年・2018年)」、「リオ五輪(2016年)」、「ラグビーW杯(2015年・2019年)」「東京五輪(2021年)」で番組演出を務めた。東京五輪は、コロナ禍に見舞われ、異例の開催となったが、スポーツ中継の“原点”に向き合う機会にもなった。「当時、伝える側としても『スポーツをやっていて良いのか』ということを、これまでのキャリアの中で初めて考えました。無観客で伝えることで、気付いたこともありました。過剰にショーアップするより、選手たちの息遣いなどの“リアル”をそのままお伝えすることの大切さ。リアルは、今のテレビのキーワードだなと思っていて、スポーツに限らず、視聴者のみなさんは出ている方の“リアル”が見たいと思いますし、我々もそこは意識しなければならないと考えています」。
スポーツでの経験を経て、2021年からはコンテンツ制作局兼スポーツ局という日テレ社員でたった一人、唯一無二の役職で、バラエティーの世界にも飛び込むことになった。分野は違うが、リアルな演出と出演者との関係の築き方はブレず、まっすぐ届けてきた。2023年、2024年の2年連続で「24時間テレビ」の国技館演出を担当。2021年、『千鳥vsかまいたち』をパイロット版で放送後、千鳥・かまいたちの日テレでの初のレギュラー番組『千鳥かまいたちアワー』を企画・演出、2025年4月にゴールデン帯へと昇格した。
「『千鳥かまいたちアワー』については、千鳥さんとかまいたちさんが面白いと思ってくれるようなものを提供したいという気持ちで、企画した時から4年半、ずっとそこが基準になっています。(『千鳥VSかまいたち』時代に)大悟さんの『今のテレビには「夜もヒッパレ」の赤坂泰彦が足りない!』という言葉を受けて、2021年2月に「今のバラエティー番組に足りないもの…赤坂さん!DJ赤坂さんになってみよう!」という企画をやったのですが、これは日曜お昼に始まって間もないタイミングだったんです。時間帯との相性などを考えたら、もっと別の要素を入れようとかなるかもしれないのですが、それ1本でお届けして、最高に面白かったです(笑)」。
スポーツで得たものをバラエティーでも開花させ、さらなる活躍が期待される中、テレビ界から離れる決断をした。「入社から19年間、報道番組以外のさまざまなジャンルをやらせていただいた中で、今年ちょうど42歳になって、キャリアとしても、自分は次に何ができるだろうと考えていました。日本テレビに入った当初は、テレビの前に視聴者の方がいて、番組を待ってる人たちに届けるという感覚でしたが、時が経つにつれて、評価基準も多岐にわたってきて、時代の変化も感じていました。テレビの現場の熱量とパワーは、間違いなく今でも日本一だと思うのですが、デバイスの変化もあり、中身も徐々に変わってきているなと実感していました」。急激な環境の変化を前に、未知の分野へ打って出る。
「19年間、日本テレビでやってきたので、期待と同じ量だけ不安もあります。本当にそこは悩んだんですけど、やらない後悔よりは、やる後悔と言いますか、ちょっとワクワクしたもの作りたいなって。テレビには長きにわたる歴史があって、洗練されている世界だと思っています。一方、ABEMAは来年10周年。そういった環境に飛び込んだ方が、自分自身の伸びしろみたいな部分もたくさんあるんじゃないかなと。サイバーエージェントの社員として、新しい環境で、全力でバット振りたいというのが一番の思いです」