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「パワハラ」五輪選手育成の鬼コーチ “心を通わせる”大切さ知った出来事&妻の存在…ドキュメント放送

 ABCテレビは、あす12月1日に『ABCドキュメンタリースペシャル 夢のメダルへ! “鬼コーチ”35年の闘い』(後4:25~5:25 ※関西ローカル)を放送する。”スパルタ式”だったコーチが、教え子に寄り添い日本飛込界初のメダル獲得に挑む姿を追う。

【場面カット】 “鬼コーチ”35年の闘い…妻の馬淵かの子

 高さ10メートルからアクロバティックな技を披露する「飛込」。男子は6本、女子は5本の異なる技を飛び、合計得点で順位を競う。水しぶきがたたない「ノースプラッシュ」が高得点となる。

 コーチの馬淵崇英(61)は中国・上海がふるさと。飛込の英才教育を受け、オリンピック出場を目指すが、世界トップレベルの中国代表にはなれず、19歳で選手引退、25歳で来日した。

 来日後、兵庫県宝塚市で、自身もオリンピック3大会に飛込競技で出場し、指導者を探していた馬淵かの子と出会った。かの子は、世界トップレベルの中国で指導を受けた崇英なら、強化方法をそのまま導入できるはずと考え、崇英と共に子どもたちの指導を始めた。

 しかし、崇英のトレーニングは中国式のスパルタ指導。その厳しさに子どもたちは元のコーチのところへ戻ってしまう。気持ちが揺れていたとき出会ったのが、当時小学5年生の寺内健だった。崇英が「金の卵」と見初めた寺内は、1996年15歳でアトランタ五輪に出場した。

 崇英は1998年に日本国籍を取得。身元保証人だったかの子の苗字を名乗った。寺内は2000年のシドニー五輪にも出場し5位。自らの指導に自信を深めていった崇英はますます“鬼コーチ”に。「飛込という競技は根性が非常に求められる。コーチも根性で勝負する」という信念に基づき、いまなら「パワハラ」といわれるであろう指導を続けた。

 2014年、中学3年生の板橋美波が飛込の新星として現れた。女子で世界初、4回転半の大技を成功させリオ五輪のメダル候補と注目される。しかし板橋は優勝候補として臨んだ日本選手権でミス、涙にくれる板橋に崇英が厳しい言葉を浴びせた。

 この時、板橋に寄り添ったのがかの子だった。崇英が気を遣いながら厳しく指導していることをそっと板橋に告げ、精神面で支えた。かの子の指導から、崇英は“選手と心を通わせること”の大切さに気付く。2016年リオ五輪で板橋の結果は8位。それでも崇英は板橋の涙に寄り添った。

 なぜ、かの子はそうまでして崇英を支え続けるのか。実は60年前に人生を左右する“事件”があった。1964年の東京五輪で起きた“事件”とは。

 そして、かの子が才能を見出した玉井陸斗は、12歳7ヶ月で日本室内選手権を史上最年少優勝。14歳で東京五輪への切符をつかんだ。“鬼コーチ”崇英の心境にも変化が現れていた。「厳しくすればレベルアップするというのは、前の時代のもの」。北島康介ならを育てた平井伯昌コーチの思想に感銘を受けた。

 「選手の心理的特性を見抜かないと力は引き出せない」という平井コーチの言葉は崇英の心に響いた。玉井には厳しい言葉は必要ない。玉井も「崇英コーチにはまだメダルをかけてあげられていない。夢を自分がかなえたい」と意気込む。果たしてパリ五輪で夢はかなうのか…。